現状に満足せず、次のステップを目指し続ける、話題の”ゼロトレ”インストラクター江國冴香さんにインタビューしました。
“多様な日常”を探るべく始まった「輝く人にインタビュー」
2020年3月頃から本格的に日本でも新型コロナウイルスが広がり、ほとんどの人がマスクを着ける事が習慣となり、2019年と比べるとガラッと生活が変わりました。仕事の環境が変わった方も多いと思います。
第二回目は、劇団四季のミュージカル俳優として活躍後、自身の体のバランスやライフスタイルを見直し、現在”ゼロトレ”というトレーニングのインストラクターである江國冴香さんにお話しを伺いました。
江國さん自身も、新型コロナウイルスにより仕事の仕方が大きく変わった1人。しかし、マイナスなことばかりではなく、この新型コロナウイルスがきっかけで出会えたご縁もあったそうです。では、早速ご紹介したいと思います。
<Shining person> Profile
江國 冴香(えくに さえか)(30歳)
ゼロトレ マスターインストラクター、ヨガ講師
7年間、劇団四季の舞台に立ち続け、
自分に厳しいストイックな生活をしていた。
生活を見直し、ヨガの資格を取ることをきっかけに
ゼロトレの開発者・石村友見と出会い、人生が大きく転換した。
好きな事:ダンス、人と話すこと
癒し:家族との時間
<インタビュアー担当スタッフ>
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オレフィーチェに入社後、お客様からのお問い合わせや注文に関わるカスタマーサポートチームに所属。チームリーダーを2年間担う。
オレフィーチェで新しいことに挑戦したいという想いから、今年2020年企画チームに異動。
インスタライブなど、“やりたい”と思った企画を実現する事の難しさや労力を痛感しながらも、日々奮闘中。
青:えとう 黒:江國さん
― 江國さんは劇団四季で活躍されていたんですよね。幼少時代、劇団四季時代、そしてゼロトレとの出会い、現在の活動など、沢山お話を伺いたいと思っています。本日はよろしくお願いいたします。
先日インスタを拝見させていただき、江國さんの体の柔らかさに衝撃を受けました!何歳から踊りを始めたんですか?
3歳からクラシックバレエを習い始めました。中学1年生まではバレリーナになりたいと思っていて。
▲実際の江國さんの写真。しなやかなおみ足が、天高く上がる1枚。
―本格的にバレエをやっていたんですね。小さい頃はどんな性格でしたか?
小さい頃から「好きな事」しかできない性格なんです。それが躍ることでした。それからだんだん、ただ踊るだけでなく人前で表現することが好きになっていきました。
バレリーナになりたいと思っていましたが、バレエは体の「骨格」でプロになれるかなれないかが決まってしまう世界で、自分の骨格ではプロになれないと分かりました。それでバレリーナになることは諦めたんです。
―バレエの世界も厳しそうですよね。バレエ以外に部活はやってましたか?
中学から高校まで一貫して、バトントワリングをやっていました。団体競技で全国大会にも行ったりもしたので、忍耐力はその時から鍛えられましたね(笑)
第一章:
始まりは修学旅行の時に観たライオンキング。そして初舞台も…
―ミュージカルとはいつ出会ったんですか?
高校2年生の修学旅行で、初めて劇団四季の『ライオンキング』を観て、もうこれしかないと思って、「絶対に劇団四季に入って舞台にたつんだ」と決めて、その道に進んでいきました。どうしても、という強い意志のエネルギーだけで進んできた感じがします。
―ライオンキングが運命の出会いだったんですね。
そうですね、今でもあの時の感覚を覚えています。
― 劇団四季に実際に入ったのはいつですか?
18歳の時からミュージカルスクールに通いながら、年に1回ある劇団四季のテストを受け続けました。3回受けてやっと受かったので、21歳の時に入団ですね。
― 皆さんスクールに通ってから入るものなんですか?
人によってバラバラです。スクールに入っていなくても受かる人もいます。
私はバレエしかやっていなかったので、劇団四季に入るために、「これだけではダメだ」と思って、ジャズダンスや歌の基礎を学びにスクールに入りました。
― 劇団に入ってからは、どうでしたか?
大変でしたね。バレエだけできてもダメで、踊りも歌もお芝居も全部できないといけないんです。
最初は研究生として入って、その後劇団員になる試験に合格してやっと劇団員になれます。でも、それで安心はできません。作品のオーディションを自分で受け、自分から役を掴まないといけません。常に前に進んでいないと劇団員としていられないような環境にいました。
― それは過酷ですね。江國さんは何年間劇団にいたんですか?また、年間何本くらいの舞台に立たれていたんですか?
7年間在籍しました。一番多かった時期は、1年間で280公演くらい出てましたね。一日に二回公演もしてましたし。
― 1年で280公演!?すごい数ですね!
― 劇団四季時代の一番の思い出はなんですか?
22歳の時の初舞台ですね。これは研究生時代なんですが、憧れの『ライオンキング』に出演することができました!
それまでの苦労が報われた気持ちで、これ以上ない幸せを感じたと同時に、ここから始まるんだという覚悟が芽生えた舞台でした。
― 劇団四季時代、大変だったことは何ですか?たくさんあるとは思うんですが…
一つ目は体調管理ですね…日々体調管理には敏感になっていました。とにかく休めない、舞台に穴をあけれないというプレッシャーを抱えながら7年間活動していました。体調面も、精神面も結構大変でしたね。
二つ目は、沢山の人から色々なアドバイスをもらうのですが、その内容がさまざまで、どのアドバイスをチョイスしていいかわからず、いっぱいいっぱいで最初は大変でした。それもあって自分で自分の評価をすごく下げていたので、劇団四季にいたときは常に自信がありませんでした。
でも、カーテンコールでお客様に拍手をもらうたび、すごく喜びを感じました。辛いことも大変なこともありましたが、好きなことを仕事にできているから、”仕事”って思わなかったですね。辛いことがあっても好きな事だから頑張れたし、もちろん今でも”ミュージカル俳優”という職業が大好きです。
きっとこれからもずっと大好きな職業です。